2年半にわたりやすらぎ通信のコラムを担当してきましたが今回が最終回です。
ご拝読いただきありがとうございました。
これまでは養生法を中心にお話してきました。前回は東洋医学の“ものさし”である陰陽や五行学説のまとめをお話ししたので、今回は四季の養生法の考え方をもう一度お話して最後とさせていただきます。
先人の知恵
人間もだんだんと年を重ねていくと陽であるエネルギーが不足し始めます。現代は冷房や冷蔵庫が普及し、一年中冷たい物を食べたり飲んだりすることができます。冷たい物を摂り過ぎると陽気が損傷してしまいます。「年寄りの冷や水」という諺があるように、だんだんと年を重ねていくと冷えるような行為は慎まなければいけないのです。日本には四季があり、四季折々の食べ物があります。その食べ物は温めたり冷やしたりする性質があります。簡単に分けると暖かい季節にとれたものは冷やす性質があり、寒い季節にとれたものは温める性質があります。しかし、現代の食料品店の店頭では季節が感じられなくなり冬でも夏野菜が並びますし、レストランのサラダにはいつでもトマトやキュウリが入っています。これは、陰陽のバランスとしては違和感があります。
また食べ物だけではなく飲み物にも食性はあります。欧米で愛飲され、最近は日本の方もよく飲むようになった苦味のコーヒーは、摂りすぎると胃腸を冷やします。それを防ぐために甘味の砂糖やはちみつ、ミルクと共に、辛味のシナモンを添えたりします。また、日本でも苦味の抹茶をいただくときは、先に甘味のお菓子を先に食べる作法があります。抹茶は緑茶の中でも特に冷やす性質が強いため、甘味で胃腸を保護してから抹茶を頂くのです。一方、緑茶を全醗酵して作られる紅茶は、体を温める飲み物です。元は同じでも醗酵により性質が変わるのです。
~春は生じ 夏は長じ 秋は収し 冬は蔵する~
東洋医学では四季をこのように捉え、それぞれの特徴にあった養生法を考えます。中国伝統医学の古典の一つである「黄帝内(こうていだい)経(けい)」『素(そ)問(もん)・四(し)気調(きちょう)神(しん)大論(だいろん)』では、次のように書かれています。
「四時陰陽の変化は万物の生長収蔵の根本である。そこで聖人は春と夏には陽気を養い、秋と冬には陰気を養って、この根本に順うのである。こうして聖人は、万物と同様に、生長発育の正常なリズムを充分保てるのである。仮りにこれに反してしまうと、生命の根本が傷つき伐られて、真気もまた損なわれ壊えてしまう。そこで陰陽四時の変化というものは、万物の生長、衰老死亡の根本だというのである。これに反すると災害をまねき、これに順えば疾病も生じない。これがつまり養生法をわきまえるということである。養生法については、聖人は着実にこれを行うが、愚か者はかえってこれに背いてしまう。」
日本においても、基本的にはこのように考えていました。四季の変化に応じて食べ物は成長し実りあるときを迎えます。その四季折々の食べ物が旬の食材です。食べ物は季節と切り離せないものであり、昔の人たちは春夏秋冬それぞれの季節に合わせて生み出される自然の恵みを巧みに取り入れてきました。栄養をたっぷり含んだ旬の恵みを取り入れることにより、その季節を乗り切る力を得ていたのです。
これまで、季節の起こりやすい症状や養生法をお話してきました。春は苦みの山菜に、夏は水分たっぷりの野菜、秋は肺を潤す果物、冬は体を温める根菜とそれぞれの季節に摂りたい食材があります。しかし、食養生は、それだけ摂っていればいいわけではありません。五味(酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味(塩辛い))をバランスよく摂ることが大切です。そのバランスが優れているのが、日本の伝統食です。一つの汁物と一つの主菜、二つの副菜の「一汁三菜」で、五味のバランスが摂れるようになっているのです。それらの食材は、季節ごとに変化し、その季節にとれた旬の食材で飾られます。
春は、苦味のふきのとうや菜の花・山うど・たけのこなどをはじめ、魚介類では、わかめ・赤貝・はまぐり・あさり・真鯛などが旬になります。
夏は、水分をたっぷり含んだキュウリやトマト・スイカに酸味の梅の実やすもも・トウモロコシや枝豆、魚介類ではうなぎにきす・タコ・かんぱち・はもなどが旬を迎えます。
秋は、梨・ぶどう・イチジク・柿が喉を潤します。大根・なす・しょうが・栗・さといも・さつまいも・しめじ・シイタケ・松茸などの野山の幸に、さんま・いわし・秋さば・さわら・鮭・毛ガニなども旬を迎え、食欲の秋の食卓を彩ります。
冬は、ゆず・レモン・みかん・きんかん・リンゴなどの果実、海老芋・くわい・かぶ・ニンジン・三つ葉など温性の野菜や、ぶり・まぐろ・むつ・ふぐ・あんこう・たら・金目鯛などが寒さを吹き飛ばします。
こうして「一汁三菜」の中に旬の食材が盛り込まれ、季節の恵みを感じ食卓を彩り健康的で豊かな食事になっていくのです。
○屠蘇(とそ)の起因
最近は、お正月に屠蘇散を飲む方も少なくなってきましたが、一年の邪気を払い長寿を願った飲む日本の伝統行事です。
昔嵯峨天皇の御代弘仁年間に唐の博士蘇明という人が和唐使として来朝の折り絹の袋に入れた屠蘇散と称する霊薬を献上されました。天皇は元旦より三ケ日清涼殿の本廂に出所されて四方拝の御儀式の後御酒に御屠蘇を浸して用いられたのが始まりとされております。その後、国民もこれに倣って正月三ケ日の儀式として屠蘇を用いる様になり、一年の邪疾病魔を除き、幸福の年を迎えるものとしてお正月には家毎に必ず屠蘇酒を戴き一家揃って新年のお祝いを致しました。屠蘇とは、邪気を屠(ほふ)り、魂を蘇(よみがえ)らせることから名付けられました。